大阪から見えるイラク/36 クルド人を守るため決断


女性も銃を手に戦う=イラク領ハクルケで06年
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◇なぜアルジンは戦うのか
 03年に会ったPKK(クルディスタン労働者党)の女性ゲリラ、アルジン(当時19歳)は15歳のとき、戦いに参加した。イスタンブールから来たが、もともとはトルコ南東部の村の出身。山のふもとにある緑豊かな村で、家族は羊を放牧して暮らしていた。

 92年、彼女の村の近くでトルコ軍とクルドゲリラの戦闘が始まった。トルコ軍は村人たちに銃を持たせ、ゲリラと戦わせる作戦を立てた。だが、村人たちは同じクルド人に銃を向けることを拒否、軍は村に立ち退きを迫った後、家に火をつけ、村人たちを追い出したのだった。アルジンは振り返る。「村を出るとき、私の手をひいて歩く母さんの目は涙でいっぱいでした。私は悔しくてしかたなかった」

 その後、私はアルジンの家族を探すため、隣国トルコへ向かった。イスタンブールの中心地近くにあった家族の家は、古い木造の建物の地下室で、昼間も光が差し込むことはなかった。

 山で撮ったアルジンの写真を母親のバハルに見せると、写真に何度も口づけした。「あの子は頭のいい子でしたが、家にお金がなく、学校へ行かせてやれなかった」。そう言って目を伏せた。

 イスタンブールに来たアルジンは、路上で野菜を売る父親の手伝いや、7人のきょうだいの面倒をみて過ごしてきた。ある日、友人に連れられクルド系の政党に行き、同じ境遇を持つ人々の存在を知った。「なぜクルド人ばかりがこんな目に遭うの?」。そう家族に尋ねるようになったという。

 アルジンは家族に何も打ち明けずに家を出た。その日の夜に「娘さんは山へ行った」と家族に連絡が入っただけだった。父親のケリムは「村を追われただけでゲリラになったのなら悲しすぎる。今の状況をなんとかしたい、そんな娘なりの決断もあったのでしょう」と涙ぐんだ。

 アルジンの傍らには、いつもカラシニコフ銃があった。この銃で何人の命を奪ってきたのか。これから何人の命を奪うことになるのか。

 ゲリラキャンプを離れる前日、アルジンは私にドングリをくりぬいて作った小さなお守りをくれた。「私が死んでもお守りは残る。私のことを忘れないで」。彼女は私の手を握りしめた。ささくれだったその手は温かかった。

 08年、トルコ軍は大規模な越境攻撃を開始した。戦闘は続き、アルジンは今も山にいる。<写真・文、玉本英子>


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