マイケル・ルアンゴさん 西洋と“協奏” 変わるクルド人の街


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 2年ぶりにイラクを旅した。滞在先は北部にあるクルド人自治区の都市スレイマニア。7月末に国境付近でイラン当局に米国人3人が拘束される事件が起きたが、ちょうどその近くだ。

 目的はNPO(民間非営利団体)「ミュージシャン・フォー・ハーモニー」のボランティアカメラマンを務めること。ニューヨークのアレグラ・クレイン氏が運営するこの団体は、ブリティッシュ・カウンシルと協力し、イラク初の「国立ユース交響楽団」創設をサポートしている。2008年7月にイラク国立交響楽団と共演した18歳のイラク人ピアニスト、ズハル・スルタンさんが発案したプロジェクトだ。

 スレイマニアは、2年前とは様変わりしていた。交通量と建物が増え、メーンストリート沿いには鉄筋コンクリートのビルが立ち並んでいる。新しい建物の中には、典型的なアラベスク様式の金銀細工が施された尖頭アーチを持つモスク(礼拝所)も見られた。

 芸術会館(アートパレス)も2年前にはなかった建物だ。8月16日にはここでユース交響楽団のコンサートが開かれ、900人以上の聴衆を魅了した。曲目はハイドン交響曲第99番やバグダッド交響楽団のアリ・カッサフ氏がこのコンサートのために作曲した「管弦楽のためのイラクのメロディー」など、欧州と中東の音楽が織り交ぜて演奏された。

 昨年6月に開館したアートパレスは、3つのホールを備えた横長の建物。イラクのサーレハ副首相の経済開発担当補佐を務めるモハメド・カラダギ氏によると、建築費用は約1500万ドルに上ったという。


 カラダギ氏は「スレイマニアのような都市には、教育や芸術のほかに会議やさまざまな公共行事に使用できる施設が必要」と述べる。サーレハ副首相は、ユース交響楽団に5万ドルの予算を割り当てたそうだ。

 ユース交響楽団イラク中から集まった14〜29歳の36人で構成。そのうち15人はイラク国立交響楽団のメンバーだ。コンサートに向けて2週間の集中練習が行われた。

 スルタンさんには動画投稿サイト「ユーチューブ」やソーシャルネット・ワーキング・サービス「ツイッター」を使って団員を集め、サーレハ副首相に財政的支援の協力を願い出た。07年にイラクのアルビール県で初めて会った際は、信念を秘めた内気な少女だったが、今はバランスを取りながら楽団のまとめ役と社会活動をこなしている。

 楽団をサポートする英米人指導員の一人、アンジェリア・チョー氏はニューヨーク在住のバイオリニストで、カーネギーホールの教育プロラム「アカデミー」の特別研究員でもある。クレイン氏に誘われ、「断るなんて考えもしなかった。友人は心配しているけど、参加して本当によかった」と感想を述べる。

 バグダッド出身の若い団員は戦争以外のことについて多くを知らないが、それにとらわれてはいないようだ。イラク国立交響楽団のメンバーでもある23歳の女性バスーン奏者は、「この2年は音楽のことしか考えなかった。学校で授業を受け、音楽に集中している」と打ち明ける。

 副首相と予算について話し合い、団員をまとめるスルタンさんもまた、戦争のことを割り切って受け止めている。「戦争のようなつらいことも経験しておくべきだとときどき思う。後はよくなるだけだから。レバノンがそうでしょう」

 スレイマニアでは、歴史的な建物は姿を消しつつある。中心部のスークと呼ばれる市場にいくつか残っているが、けばけばしい看板と電飾に覆われて簡単には捜し当てられない。広い駐車場と空調設備を完備したショッピングモールが、次々と姿を現し、観光客が好む中東風の街並みは失われる一方だ。

 しかし、店の人の温かさは変わらない。誰もがわざわざ私たちに声をかけ、あいさつしてくれる。スークでは米国人らしき外国人観光客の姿もよく見かけた。

 昨年スレイマニアで英語教室を始めたカーター夫妻は同地の暮らしがとても気に入っているという。夫人は「ここが大好き。クルドの人たちは素晴らしい人ばかり」と情熱的に語った。

コメント:画像はモスクに改造された古い商業施設=イラクスレイマニアブルームバーグ)8/13です。
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